パパ教員の戯れ言日記

パパ教員の立場から、ただただ戯れ言を綴る日記。教員全体の意見ではありませんので、悪しからず。

俗に言う「バカッター」は学校教育の敗北でもある。気がする。

これ、結構ブーメランな部分があるので強く言えないけど(承認欲求なんか特に)、でも書いておきたいので書きます。

これは完全に私見です。教員みんながこう思っているとは思いません。この記事に対してのご意見は私、個人宛でお願いしますm(__)m これだから「教員は」と思わないでいただけると。

強く抑えつけること+排除がスタンダード「だった」学校教育

今は様々なところで校則問題や体罰問題が叫ばれています。

しかし、本当に一昔前、10年前なんかは
「先生、何かあったらうちの子、叩いちゃっていいですから。うちは体罰とか言いません!」
という親がクラスに複数人いました。(今はごくたまに聞く程度)

体罰を行う教員は

「子どもは大人の言うことを聞くものだ。だからそれから外れることは許されない。」
「大人の要求に応えられない子どもは叱咤の対象である。」

とでも思っているのでしょうか。

これ、一言でまとめるなら「私を敬え」なんですよね。敬えない奴に暴力する人をどうやって敬うのか、教えていただきたいものです。

校則で縛ることも似ていて、中学の先生の中には「校則を少しでも破ることを認めると、そこからほころびが出て学校は崩壊する。だから絶対に校則は守らせないとならない。」という信念のもと、(意味があるのかはわからない)校則を守らせることに燃えている先生もいるわけです。

何が言いたいかといえば、子どもを「管理下に置きたい」という学校教育の姿が垣間見れる訳ですね。(もちろん学校は子ども達を管理下に置いているのですが、自分の所有物のように置きたいという意味で捉えてください)

先生の言うことを聞け。校則は守れ。それが君たちのあるべき姿だと。

そして、訳のわからないツールが流行ると「排除」し続けてきました。Twitter?LINE?危ないから禁止だと。

でも、それはある意味ではそうすることによって学校を守ろうとしていたということもできるかもしれませんが、自分たちの都合のよいように社会から目を背け続けていたということでもあります。

私の経験則で申し訳ないのですが、強く抑えつけた学年を来年担任すると、自由にさせるタイプの教員のクラスは崩壊に近くなります。今まで抑えつけられていた分を発散するかのように暴れます。

一斉授業で「レールに乗せすぎる」

これもよく見られます。指導案を作ると、指導案通りに進まないと不安になります。
そして、どのようにして「外れないようにするか」を考えてしまいます。

日々の授業でも一緒で、「失敗させないように」いろいろと工夫を重ねていると、完璧なレールができあがっていて、子ども達はそこをスイーっと滑るだけでゴールに自動的にたどり着くようになります。もちろん、学力も高いです。私語もありません。端から見れば完璧に見えます。

「自分らしくある」場所が消える

日常では強く押さえつけられ、授業ではレールに乗せられる。
満員電車にずーっと乗っているような状態です。

ではこの中のどのタイミングで「自分らしくある」時間をとればいいのでしょうか。

馬鹿なことができる時間、失敗しても笑って終われる時間、やりたいと思うことを好きなようにできる時間。

今回のケースは、その場をSNSに求めたと言えるのではないでしょうか。

かくいう私だって、日頃言えないことをここに書いているわけですし(汗

やってはならないことを体感的に理解していない

どのケースを見ても、「普通に考えれば」やるべきではないことです。

ただ、この感覚って日常の小さな失敗体験を積み重ねて強化されていくものです。

このような教育を受けてきた彼らは「失敗の体験」をしていません。
何が失敗なのか教えられていません。失敗に目が向かないように工夫を重ねられて育っています。そして、見かけ上の成功は続いているので自信はあります。
もちろん、家庭では失敗をする場面もあるでしょうが、SNSに家族はいません。
抑圧的な教員も、SNSまでは追ってきません。

「俺がやる楽しいと思うことは(今まで通り)みんなも楽しいと思ってくれるだろう」

「これでいいね!がいっぱいもらえるぞ。」

と何ら疑うことがありません。

SNSの使い方も排除されているために指導されていません。

抑圧されていたものが一気に表出します。

その結果が今の状態なのではないでしょうか。

なぜ数年のスパンで繰り返されるのか

そのときに学校の締め付けが強くなるからではないでしょうか。緩んでくるとこうなると。なので、同じように学校が対応する限り、同じスパンで起きると思います。

2006年に、前略プロフが新聞に取り上げられました。その頃のはてブではtinycafeさんが無断リンク禁止!と言って叩かれる事案が起きています。(バカッターの炎上に似ています)
2013年はバカッター元年とも言える年。
そして2019年に再来。

次は2024年あたりでしょうか。

じゃあどうするのか

まずは挽回可能な失敗をさせること。

  • 失敗が許容されている学習環境を作る
  • 小さな成功体験と同じように、小さな失敗体験も積ませる
  • 失敗したら、なぜだめだったのか自分で考えさせる
  • 行き過ぎる寸前で止められるように整えておく

…というように、実はめちゃくちゃ手間がかかるんですよね。この方法。なので、振り出しに戻ってあのように管理したくなる気持ちもわからなくはない。

でも、ここでやらないと連鎖は止まらないと思います。

知識伝達型一斉授業の形式から、PBLへ。学び合いへ。知識構成型ジグソー法へ。何でもいいのですが、余白のある学習形態にしていかないと、失敗は生まれません。

SNSについては

  • 限定公開なんてなかった(スクリーンショットされたら終わる)
  • 無限に増殖する
  • 一生消えない

ことは最低限伝えたいところですが、それに加えて「どのように活用すべきか」を教えないと本当はいけないんだろうなぁと思います。

排除じゃなくって、活用方法を考えていくこと。

  • 失敗をさせること
  • SNSの活用を考えさせること

この二つが揃うと、バカッターは減っていくでしょう。

本当は失敗しても大丈夫なSNSがあると良いんですけどね。なかなか難しい。

この世の中でSNSを使わずに過ごすことなんてもはや不可能なんですから、どんどんよい方向に活用してほしいものです。

以上、バカッターは学校教育の敗北でもある気がする話でした。