ムダに長くしてみました。
その日は、じいちゃんの葬式だった。
幼少の頃はあれほど通った山梨の地も、10年ほど前に母が亡くなってからは殆ど行くことの無い土地になってしまった。
火曜日の夕方、父から連絡。「おじいちゃんが亡くなったぞ。」
木曜日に通夜があるが、お前たち(私と弟)は出る必要が無い、と言われた。
私と弟は、その言いつけを素直に守ることなく、世話になったじいちゃんと最後のお別れをすることを望み、父に連絡、了承をもらった。
私は5時間目を自習にし、関越道から圏央道、中央道と乗り継いで山梨県へと向かった。いつもは軽自動車だが、その日は妻が「こっち乗っていきな」とデミオを勧めた。ディーゼルエンジンを載せたデミオは、ベンツやBMWにことごとく ちぎられていったが、安全第一で運転しているとやがてトラックにはばまれたベンツと再会した。圏央道は2車線なのだ。
行きの車内には、ファミリーマートで買ったコンビニコーヒーがあった。中央道下りの談合坂SAで休憩を取り、向かうは山梨県山梨市である。
インターを降りる。あぁ。この風景だ。ブドウ畑が広がり、温泉の看板、ほうとうの看板が見える、この風景。何故か「帰ってきた」と思えた。
斎場に着くと、斎場の一室でじいちゃんが棺に収められるところであった。介護施設で職員に看取られながら逝ったそうだ。母が亡くなってからは年賀状のやりとり程度しかしていなかったので、介護施設に入っている事すら知らなかった自分を恥じた。
集まった親戚に見守られ、じいちゃんは穏やかな顔をしていた。90歳。大往生ではないかと思う。おばあちゃんは杖をついていたが、しっかりと受け答えをしていたし、訪れた私に「今は何年生の担任なの?」と尋ねた。久しぶりに訪れた孫の事をちゃんと覚えてくれていた。私は2人に対しての初孫であったからだろうか。
通夜は滞りなく進行していった。泣くことはなかった。心のこもった式だと思った。
その後、親戚の方と飲みに行った。(私はノンアルコール)
そこではじめて聞いたのは、じいちゃんの経歴のすごさである。
消防から、桔梗屋へと転職したじいちゃんは、桔梗屋で信玄餅を大量生産する礎を築いたらしい。使われる機械を改良したじいちゃんは、感謝状をもらっていたそうだ。さすがに何十年も前の内容で、後日探しても新聞の記事は残っていなかった。
私は翌日も授業があるので、ここで辞去しますと言い、21時過ぎにまた中央道に乗り、帰宅することにした。
帰りも談合坂SAに立ち寄ることにした。さすがに少しの眠気があるし、お土産も買っていなかったからだ。
談合坂SAに着いたところ、既にほとんどの店は閉まっていた。スタバもあったようだが、タッチの差で閉店した後だった。
建物の間に特設のお土産屋さんが出来ており、そこは深夜も営業していた。私は、学年の先生方に信玄餅を見つくろい、ガムと一緒に会計をした。
ほとんどの店が閉店した後だったので、駐車場は真っ暗になっており、ポツポツと自販機の明かりが周りを照らしていた。
私は、片手に桔梗屋の袋を提げたまま、ミル挽きコーヒーの自販機の前に立った。
コインを入れ、買ったのはモカブレンドだったと思う。
思えばその時の私は多少の眠気もあったし、油断していたのでは無いだろうか。
深夜の真っ暗な談合坂SAに、流れ出すコーヒールンバ。
全力で覚醒した。
やってしまったと思ったときにはもう遅い。始まるカウントダウン、80秒。
この羞恥に耐え忍ぶ時間が80秒もあるという、お告げである。
クラベスの音が響く。タンタンタン、タンタン。
必要も無いのに流れる自販機内の映像。
「あなたのために♡ ドリップ中」
逃げたい。
…逃げたい。
もうコーヒー無くても覚醒したから。逃げていい?ダメ?
80秒という時間は、スマホで何かするにはちょっと短い時間だ。じっとモニターを見続けるしかない。
あ、なんか後ろに人が通った気配がある。今振り向けない。
深夜にコーヒールンバ流しながらぼーっと立っているこの顔を見られてたまるか!
そして絶えた80秒。
通夜よりも長いと感じた80秒であった。
という訳で、
のブコメで
コンビニコーヒーって恥ずかしい
真夜中の談合坂SAで自販機のミル挽きコーヒーを買ったら、待つ間コーヒールンバを聞かされた。逃げたかった。
2017/03/12 07:44
と書いたらスターを予想以上にいただいたので書いてみました。