パパ教員の戯れ言日記

このブログの発信は個人としての発信です。こんな教員もいるのかと思っていただければ幸いです。

「えーマジビンタ!?」「ビンタが許されるなんてあり得ないよねー!」

このAAが思い浮かんで仕方ないので貼る。

f:id:justsize:20170902064613p:plain

あ、このニュースに関する話です。

news.livedoor.com

理由の如何に関わらず、体罰は必要ありません。

ガイドラインとかひっぱってこようかと思ったんですけど、この見出しに全て集約されています。理由の如何に関わらず、体罰は必要ありません。

上のニュースの弁解が見苦しい

体罰は愛のある指導では無い

お前のことを思っているからこそ、ビンタしたんだ

みたいなのが、通じてしまいそうなのが怖いのですが、教育に携わる身から言わせてもらえば、

それだけ思っているんだったら、
体罰に頼らない指導法を身につけろ

という話なんですよ。

それで、これは教育に携わる身じゃなくてもそうですよ。大人として、子どもたちの上に立つなら、コーチだって監督だって、親だって、体罰、暴力に頼ること無く指導していただきたい。

体罰、暴力は劇的な効果が出るが、薬物と一緒です

叩かれると痛いの当たり前ですので、効果ははっきり、そして即効性を持って出ますよ。そりゃ。薬物と一緒。すっごい楽です。薬物と違ってお金かからないし。

でも、薬物と一緒で依存性がありますよ。楽だし劇的な効果なんで、ついつい使ってしまう。

その、ついつい使ってしまう、指導として楽な方向に逃げてしまう、その言い訳が「お前のことを思っているからなんだ」というお粗末なものなんですよ。

薬物と同じです。やられた側にはキズが残っていきます。心のキズ、身体のキズ。
そして、耐えてしまうと、暴力はたいしたことないんだと思ってしまい、暴力を肯定、今度は違う相手に対して同じことをしていくわけです。暴力の連鎖です。

体罰をする = 自分は適切な指導ができない と自己紹介しているのと一緒

そういう実態があるにもかかわらず、体罰をするということは、自分は体罰以外の適切な指導方法を身につけておらず、ついつい楽な体罰を主に使用しておりますと自己紹介しているのと一緒です。

もう一度言いますけど、大人として子どもたちの前に立つ以上、トランペット奏者だろうが関係無いですよ。

f:id:justsize:20170902064613p:plain

どうしたら良かったの?

ここで終わってしまうと何も得られない駄文に成り下がるので、では、どうしたら良かったのかを考えてみたいと思います。

この記事によると、

news.livedoor.com

生徒はドラムのソロパートで延々と演奏し、日野氏が注意に入ってもなかなかやめず、日野氏がスティックを取り上げて投げつけると、にらみつけるような表情をし、今度は素手でドラムを叩き続けた。そこで日野氏は生徒を往復ビンタした。

 ふむふむ。そして次の記事

news.livedoor.com

コンサート前の4ヶ月にも渡る練習期間中にも、日野氏がこの男子に手をあげることはあったそうだ。坂上は「なんで、そのときにもっと問題視しなかったのか?と練習期間中に問題を解決するべきだったと指摘する。

もう、ダメダメじゃないですか。日野氏が

生徒側に立って書きますよ。

  • 中学生になめられるくらい、実力を認められていない
  • 練習中にも手を上げている

ということで、リーダー失格ですよね。これ。

中学生からしたら、「なんか知らんが偉そうなオッサンが意味の分からない指導をしてきて、仕方ないから自分の思うように演奏したら叩いてきやがった、あいつ何者だよ。言うことなんて聞くもんか。むしろ本番で思いっきりやったろー。」

って思っているかも知れません。

と言うか、私だったらそう思います。笑
大して実力も無い(ように見えてしまっている)のに偉そうなことばっかり言うオッサンについていくほど中学生は純粋じゃないです。

なので、取り得た対応としては次の通り。

  1. 4ヶ月の間で、信頼関係を築く
  2. 当日やめさせる人は違う人であるべきだった

これは、1が出来ていたら2は要りません。1が出来ていないと2が必要です。

まず、兎にも角にも信頼関係を構築します。

この人の言うことなら聞ける、この人に学びたい!と思わせるということです。

大人は権威ある、と言われるとなんとなく従おうかという雰囲気になりますけど、子どもたちはそんなの関係無いので非常にフラットに判断します。なので、目の前でしっかりと「この人ならついていきたい!」と思わせることを実力で見せることが必要だったと思います。

あまり具体の内容になると「それやってましたけど」と言われそうなので触れませんが、信頼関係が構築されるように働きかけるべきだったと思います。

これはお前らが信頼してくれないのがいけない、じゃなくて、こちら側が信頼させられなかったのがいけないととらえるようにしたいですね。

信頼関係の構築に失敗したら潔く引く

2ですが、信頼関係の構築が出来ていないのなら、強く指導するのは逆効果です。
なので、違う人が止めに行けば良かったのではないでしょうか。

俺が止めなきゃみたいなおごりは要りませんので、言うことを聞いてくれそうな別の人が行けば、演奏が止まった可能性は大いにあります。

だって、終了後に親と話をしたら子どもも反省しているみたいなことを言った訳でしょう?と言うことは、冷静に話せば分かる子なんですよ。やっぱりこのケースは、日野氏へのあてつけな部分もあると思うんですよね。

それで、私はこういうとき、中学生もダメじゃんとは全く思いません。

そういう風に中学生を変化させたのは日野氏とその周りの大人です。

導いた結果、違う方向に進んでしまったのは導き手の責任ですよ。中学生は全く悪くない。

 この記事に少し書きましたけどね。

blog.edunote.jp

と言うわけで、厳しいことを言いますけど、今回の日野氏は、信頼関係も構築できず、適切な指導方法も知らない、指導者としては大変低いレベルであると言わざるを得ません。

そして、ビンタをしたことについて「あのケースなら仕方ない」と思ってしまっている人は、知らず知らずのうちに指導としての暴力を肯定するケースがあり得る側に立ってしまっていることに危機感を感じていただきたいです。何度も言いますが、暴力は指導の手法としては必要ありません。信頼関係の出来ていない、要するに大嫌いな人からビンタされることを考えてくださいよ。大人だって嫌ですよ。

指導としてのビンタはダメ、絶対。ほっぺたはビンタされるためにあるんじゃ無いのよ。好きな人からチューされるためにあるんです!言わせんな恥ずかしい!恥ずかしくて、赤面しながらジタバタ、ドラム叩くぞ!

と言うわけで、お後がよろしいようで。