なんでもあるぜ、いらすとや。
給食の話です。
つい先日、ニュースになりましたよね。カビが生えたパンを食べさせる教員がいたと。
あれは論外なのですが、やっぱり悲しいんですよね。
給食を残すのって。
というわけで、悲しいと思う理由を3つほど挙げてみます。
1 栄養バランスの偏りが発生するから悲しい
やっぱり給食の一番の売りは、栄養バランスの良さじゃないですか。なので、ある程度は好き嫌いせずに食べて欲しいなと思いますよ。
でも、やっぱり嫌いなものは嫌いなんですよね。
それを無理やり強制するのは、少なくとも学校の役目じゃない気がするので、私はやりません。
うちのクラスでは、配膳されたらその半分の量までは減らしてよいことになっています。逆にいうと半分は頑張って食べろと。
しかし、半分に減らしたものを最後に残しても、何かお小言を言ったりはしません。私が悲しくなって終了です。笑
2 作ってくれた給食センターの人の苦労を思うと悲しい
これ、完全に私の勝手な考えですが、やっぱり、給食って作るの大変だろうなぁと思いますよね。
自校給食の時は、作る過程が覗けますし、いいにおいが漂ってきますから、給食好きな子どもたちっていうのは多かった印象があります。
センター給食の場合は作り終わったものが届きますから、子どもたちも愛着を感じづらいのかもしれません。給食週間の時だけ、センターの方に感謝しながら食べるのは本当はおかしいなーと思います。
この前スーパーでいわしを捌いてもらいました。3匹の開きを作ってもらっても、150円のお魚代のみなわけです。なんか申し訳なくなってしまいました。そういうサービスを提供していることは分かっているんですけど。お魚を捌くのって面倒ですよね…。技術料として払ってもいいと私は思ってしまった。でも、捌くのが面倒というのは、一度捌いてみないと分かりません。(じゃあ頼むなよって言われたらそうなんですけど、はらわたとか、家庭でゴミ箱に入れておくと大変なことになりますよね…。ちょうどゴミの日の翌日だったのでつい。)
同じように、子どもたちが給食の調理に関して、大変なことをしてもらっているんだと思うためには、体験したり、想像したりする必要があります。そういうのは学校で教えてもいいかなと思います。
様々な事に対して、感謝の気持ちをもてるかどうかっていうのは、他人にどう思われるか(感謝できないなんて!と思われる)というよりも、そういう大変さを想像できる人になる、相手の立場に立って考える事が出来るという点で違いが出てくるように思います。ちょっとしたことでも、他人に感謝しながら生活を送ることって、ステキな生き方に思いますよ。私はね。(押しつけはしないから残しても仕方ないとは思う)
3 消えていく食材費を思うと悲しい
すみません、何を隠そう、悲しい理由はほぼコレなんですけど。
例えばアスパラのサラダが出るじゃ無いですか。
アスパラなんて、普通にスーパーで買うと3~5本で200円するかしないかくらいの、結構な高級食材な訳ですよ。(え
ってかなんでいらすとやにはアスパラの絵まであるんだよ。スゴすぎか。
閑話休題。
それで、クラスで残飯の量を測定すると、結構残るわけです。アスパラの本数に直すと20本くらいはくだらない量が。
そうすると無駄に計算しちゃうじゃないですか。20本だぞ。1000円以上になるぞ。君たち。1000円以上捨てるのかと。(知らんがな
もう、そうなってしまうと、食べますよね。
私が。
皿に山盛りのアスパラを時間いっぱい食らう訳ですよ。
同じように、カボチャが残ったぞー、わー食べろー、みたいな感じで割とおかわりする訳です。
そうなると、どうなるか。
太ります。
と言うわけで、
給食を残すなんて悲しすぎるー!と必死に残されそうになっている給食を食べた結果。
中年太りが一人出来上がりました。
おあとがよろしいようで。
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