パパ教員の戯れ言日記

このブログの発信は個人としての発信です。こんな教員もいるのかと思っていただければ幸いです。

対教師暴力は中学校が最多で、高校は1万人に1人のレアケース

おはようございます。33歳になったすずすけです。このくらいになるともう歳はどうでもいいかなと思い始めますね。

さて、最近、福岡における対教師暴力の事件が大きなニュースになっております。

タイトルにもある中学生が最も多く、高校生は1万人に1件のレアケースという数字は、文科省の調査から持ってきています。中学校は1万人あたり140件ですので、中学校時代にやんちゃしていた子は、高校になると落ち着くか、高校に行かない選択肢をとるか、という風に読み取れますね。

平成27年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」の確定値の公表について:文部科学省

さて、私としては、今回珍しく尾木ママと意見が合いました。

テレビのキャプチャーをアップロードしているものに対して言及するのも気が引けますが…。


尾木ママ、博多高校・暴行事件の男性教師の対応をバッサリ! 「本当に情けない、何をやっているのかなと思います」

動画のタイトルの部分には強く賛成できませんが、その後の説明は同じ考えです。
特に、「怒るは感情的になっちゃう。叱るは、フィルターを通すから、もっと知的である。」という部分には賛成です。

今回、講師の先生がやらなくてはならなかったのは、無視ではなく、一度授業を止めて、しっかりと意見を表明する(=叱る)ことでした。君たちの行動はおかしいよと、しっかりと真剣に話すことが出来ていれば、5人は話を聞いてくれたでしょう。一回で5人を味方に付けられれば、後は徐々に増やしていくようにします。それを地道に積み重ねていくのが、一番骨が折れますが最後に力を発揮してくれる大切な部分になってきます。

GTOだって、最初は味方ゼロの状態で、だんだんと増やしていったように記憶しています。

教員がクラスをまとめるために必要なのは中間層の支持

教員の世界では、6割を味方に付ければとりあえずは主導権を握れる、というような考え方があります。(割合については諸説ありますが)

クラスの子どもたちのうち、2割は無条件で教員の側に立ってくれる、2割は無条件で教員に対して反抗的な態度をまず取る。なので、残りの6割を味方に付けられるかどうかで、クラスの過半数を掌握できるかが決まるというのです。8割握ってしまえば、残りの2割は長いものに巻かれます。

今回のケースでは、中間層である6割を味方に付けることが出来ていませんでした。なので、笑ったりする様子が見られた訳です。厳しいことを言うようですが、これは教員としての失策に他なりません。おそらく同じメンバー、同じクラスでも、違う教員が授業をしている際には違う様子が見られたはずです。

なので、一つ私から意見を言わせてもらうのであれば、確かに暴力行為を働いた高1男子は許される存在ではありませんが、そのようなクラスの雰囲気を作ってしまったのは紛れもなく、授業を担当している教員自身ですので、ある意味では起こるのは予測できたことだったと思います。

ただ、私ならこうなる前に、その先生とじっくり話して悩みを打ち明けてもらい、どのような方針で今後の指導を行っていくのかについて、見通しを持ってもらうと思います。ここは学年主任としての仕事の範疇かと。今回はそれすらなかったように思います。なので、今回のケースは、校長を始めとする管理職が、どのような授業が行われているのか、日頃から校内を巡視していれば防げたように思います。うちの学校は結構頻繁に廊下を校長先生が巡回してますね。一瞬緊張します。笑

ただ、それはあくまでも結果論としての話です。彼に責任があったとは言いたくありません。
原因を求めていくと、今後こういうケースは頻発するという結論にたどり着くと思います。

教員の急速な低年齢化が進んでいる

団塊の世代の方々が退職し、教員の低年齢化が進んでいます。20代が大量におり、30代後半から40代後半までの人数がグッと絞られています。30代前半の私が学年主任になるくらいに、人数がいないというのは、本来はちょっと異常だと思います。

本来、30~40歳の年代層は若年層への指導というか、お手本というか、そういう立場になるべき存在なのですが、あまりにもその人数が少なすぎて、若年層への指導まで手が回りません。

講師の仕事内容に勉強が入っていない

これも問題です。学校の先生として勤務するためには多くの勉強が必要です。学習内容に関係する勉強ももちろんそうですが、教員としてリーダーシップを取るためにはどうしたらよいのか、逆にコーチングの立場からはどのように支援するか、色々な知識を吸収する必要があります。私もD・カーネギーの本とか、7つの習慣とか、それなりには読みましたし、紆余曲折あっての今のスタイルになっていますので、若い教員ならなおさらまずは知識を入れておくべきだと思います。そのうちその内容が経験とミックスされて、自分のスタイルが確立されてきます。

しかし、講師のように時間給で勤務されている方の中の、いかほどが勉強する時間までを仕事として与えられているのか。きっとほぼ0じゃないかと思います。

法令で「教員たるもの、研修と修養に励むべし(意訳)」と書かれているにもかかわらず、そこには給料を出されない講師という存在に、上のような解決を求めるのは酷じゃないかと思います。

今回のケース、最後まで手を出さなかった講師の先生に心から拍手を送りたいです。20代前半であの冷静な対応は本当に素晴らしい。私がその年代だったら、逆上している自信、あります。(というか実際怒鳴り散らしてたな…。ははっ…。)

逃げていい。

と言うわけで私からのアドバイスは、無理なら逃げろ。ということで。

無理にやろうとしても無理なもんは無理なんですよ。勉強させてくれないのに、高校生という多感な年頃の子たちを引きつけながら授業するのは難しい。よっぽどキラリと光る物がないと、技術が未熟なのにクラスをまとめていくのは難しいです。でも、それは仕方ないこと。最初からそういうレベルを要求されてしまっているのが本来はおかしいんですよ。

そして教員の置かれる現状が厳しいことを広報した方がよい。教員の仕事は素晴らしいと思う部分もある反面、積極的に勧めたいかと聞かれれば、即答できない部分が多いです。

blog.edunote.jp

という訳で、暴力行為、特に対教師の暴力行為は厳しく取り締まるべきだという論調には賛成しつつも、何故それが起こりえてしまっているのか、という側面にも光をあてて議論を深める必要性を感じましたので、敢えてこのような内容で筆をとらせて頂きました。

勉強する時間と、失敗を経験として糧に出来る機会が、教員にはもっと必要だと思います。あとは趣味に使える時間とかね。(「とかね」が「と金」になって確かにそうなんだけどと苦笑。)