この記事を読み、思い出したことを書きます。
特定の人物に対するいじめではなかった(と思う)けれども、クラスの荒廃を防ぐことが出来なかった、未熟すぎる自分の話です。(今でも未熟だと思っています)
夏休み明けに起きた事件
その年は4年生を担任していました。夏休みが終わり、2学期が始まった時でした。その時の勤務校では、夏休みの作品展を開いて、夏休みにがんばって作成した作品を、学年毎に特別教室にまとめて展示していました。
2学期が始まって数日した朝です。
「先生、大変なことになっている。」
学年主任の先生から朝一番で話しかけられました。
何がおきたんだろうと、その先生の後をついていきます。着いた先は、うちの学年の作品が展示されている特別教室でした…が、入ってすぐ異様さに気づきました。
ほぼ全ての作品が壊されていたんです。
卵の殻を使った作品や、釘をうまく並べたピンボールのような作品など、何から何まで、机の上では無く、床にぶちまけられていました。(無事だったものもありますが、ひどい有様でした。)
言葉を失いました。カッと体が熱くなるのを感じました。怒りの感情なのか、ショックが大きかったのか、それすらも分かりません。
それだけでも重大事件だったのですが、もう1教室、被害に遭っている教室が。
すぐ隣の、うちのクラスです。
既に撤収済みでしたが、とある女の子の机に「死ね」と油性マジックで書いてあり、黒板にもデカデカと油性マジックで落書きがあったようです。(消してくださっていました)
もう、朝から頭の中が真っ白です。何があったの?何でこんなことになっているの?
訳が分かりません。
とった対応
とにかく原状復帰を行い、学年集会を開きました。
君たちを疑いたくないけれど、もしもやってしまったというなら、名乗り出て欲しいと伝えると共に、このような事態は許されることではない、ということを学年主任の先生から全体へ指導します。
クラスでも、1時間以上かけてゆっくり、じっくり話をしました。子どもたちと解決策を考え、放課後は防犯カメラを置くということにしました。
防犯カメラと言っても、パソコンのWebcamを監視カメラソフトで記録するというものです。動きを検知すると録画を開始し、記録されるようにしました。
また、確実に子どもたちが教室から出て、下駄箱に向かったのを確認してから自分も教室から出るようにしました。教務主任の先生が放課後何回か見回りをしてくださるようになりました。
生徒指導委員会で話題を出し、全ての教職員に周知すると共に、対応策を考えました。
数日して、監視カメラに反応がありました。6年生です。
何やら教室をのぞき込んでいる様子。次の日に担任に知らせ、話を聞いてもらいましたが、「大変なことになっているという噂を聞いて心配で見に来た。」という回答で、時間帯的にも下校時に寄っただけだという理解ができる時間だったので、おそらく違うだろうと判断しました。
その数日後、監視カメラに何の反応も無かったのにもかかわらず、2度目の荒らしにあいました。教卓の中に入っていた予備のプリントを全てぶちまけられると共に、黒板への落書き。
教室の後ろでは、バケツに水が入った状態でひっくり返されたようなあとが。
何がおきているのか、さっぱり理解できませんでした。
私の時間的リソースが無い
実はその年、不登校の児童も担任していました。
朝はその子の家に顔を出し、「学校で待ってるね。」とだけ伝えて学校に戻ります。はじめは顔すら見せなかったのですが、段々と玄関先で話が出来るようになりました。いよいよ、その子がお母さんの車に乗って登校してきた時には、「一歩でも良いから車外に出てみよう。」という働きかけをしていました。1学期はなかなか校舎内に入れなかったのですが、2学期は少しずつ校舎内に入れるようになっており、その子が登校している時は、空き時間を全てその子の相手で使いました。授業中に登校してきた時は、クラスの子には少し問題を解いてもらい、5分程度の話をすることも。テストの○付け、事務処理などの様々な業務は山積していましたが、ここで踏ん張れば学校に来られるようになるかも知れないと、必死に対応していました。これは言い訳なのですが、今回教室でおきている事象に対して、先回りした解決案を考えたり実行したりすることが出来ませんでした。
内心、荒れる
色々なことが同時並行で悪くなっていく、運動会に向けての練習もしなくてはならない、1学期に築いたちょっとの信頼関係を覆し、「もしかしたら自分のクラスの中に、実行犯がいるかも知れない。」と疑わなくてはならないことに自己嫌悪の日々が続きます。私はクラスの子を家族と同じように大好きになれることが、自分の強みだと思っていましたが、逆に疑わなくてはいけないというのは大変なストレスになりました。こんなことがあっても、たくましく笑顔で日々生活してくれるみんなの姿を笑顔で見ながら、実際には「誰が犯人なんだ」という目線で子どもたちを見ている。最高の矛盾です。
2回目に荒らされたとき、落書きの筆跡がとある女の子に似ていることに気がつきました。でも、その子は一回目の被害者なんです。心情に注意しながら、それとなく話をしてみましたが、もちろん否定。あーもうダメ。手がかりもない中、朝学校に行ったらクラスがまた荒らされていないか不安を抱えながらの毎日。
この時辞めたいとFacebookに書き込んだ記憶があります。
何も解決できなかった
その後、クラスは荒らされることはありませんでしたが、みんなが体育で校庭に出ている中、女子が持っていたGPS端末がトイレの汚物入れに捨てられるという事件まで起こりました。これは、うちのクラスの仕業では無いだろうな、と思いながらも、そんな端末を持っている事を知っているのはうちのクラスだよなぁ、可能性が0な訳では無いぞ…と堂々巡りをする中、これ以上のことはおきませんでした。
消極的な解決です。
悔しさだけが残り、学校を去る
その年は、ちょうど経験人事で異動することが4月から明らかになっていた年でした。この学校の最後の1年だ、と勝手に気合いを入れていたものですが、蓋を開けてみれば散々な結果に。不登校も解決できませんでした。くやしい思いだけを残し、次の学校へと異動しました。
どうしたらよかったのか
情報が完全に不足しており、対応がとれなかったことや、ほかの先生方も自分の仕事でいっぱいいっぱいで、他のクラスのことなんか考えている余裕がないこと、そもそも学校に配置されている教員数が、現場感覚から言えば「二人病欠したら授業が回らないくらいにはギリギリ」であることなど、様々な要因は考えられますが、やっぱり自分の力がなかったのが一番なんだろうな…と思います。今もこの職を続けているのは、子どもたちを大好きになるということと、疑わないといけないという矛盾にどう向き合うか、自分なりの答えを見いだせていないから、というのもあります。
ぜひ、コメントやブコメで意見をお聞かせください。
補足
なお、いじめの定義については、実はかなり拡大されています。次のエントリーで、触れたいと思います。