筆が遅いと前回書いたら、やっぱりこんなに遅くなってます。すみません。
さて、組体操のねらい、身につけさせたい力について、「私の考え」を書きます。
建前上は・・・
- 学習規律の確立
- 互いの役割の理解
- 責任を果たす姿勢
といった物が一般的に挙げられるのかな、と思います。
誤解を恐れずに言えば、軍隊的な指導ですので、「サー!イエス サー!」で駒となって堪え忍ぶことを要求するわけです。
だから、大技にこだわるのかなぁと思いました。これだけデカい技を決めることができたみんな(を指導できることができた俺)スゲー となりたいのかな、と。
正直に申し上げて、教員として、その欲求を捨てるのは無理だと思います。
やっぱり何か大きな事を成し遂げて欲しいと思うからこそ、指導の研究をします。これは組体操に限らずです。大きなことを成し遂げて欲しいという思いを捨てたら、教員として子どもたちを伸ばそうと思うことは無くなってしまいます。だから、ある程度まではみんなを伸ばしたい→少し大きな山を越えさせたいと思う事は、自然なことなのだ、ということは思います。
ただ、それと、大ケガをさせるのは別問題です。
なので、私が考える組体操のねらいは、少し違います。
学習規律の確立はそのままです。ケガをする恐れがある以上、ある程度の統率は取る必要が出てきます。自由にさせる部分と、そうで無い部分の切り替えは必須です。
あとは、単純です。
「友だちと協力することの楽しさを知ること」
これだけでいいのかな、と思います。
なので、組体操が目的となっていません。友だちと協力して何かを成し遂げていこう、と考えたときに、組体操がフィットしそうだ、ということで組体操を選ぶのが理想です。
(実際には毎年やっているから組体操を選んだ訳ですが、他の手段で達成できるのであれば他の手段でも良かったと思います。)
ですから、組体操を選んだにしても、踊りになったとしても、友だちと協力することの楽しさを知ってもらうというめあてから言えば、ケガをさせるまでの指導はしなくて良いということになります。
なので、組体操で進めました。
まとめます。
私の考える組体操
- 指示の通る集団を確立する
- 協力して技ができた時の楽しさを知ってもらう
- ある程度の山は乗り越えさせたい(→技術の向上・体育の指導的観点)
- でもケガは要らない
では、安全に組体操を指導するためにどうしていったのか、次回は組体操を構成する要素を挙げ、実際の指導に視点をあててみます。